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14:46

 おはようございます!AI技術研究所の吾妻です。
本日は少々長い文章になることが予想されます。うまく伝えられるかわかりませんが読んでいただいて、教訓にしてもらえたらと思います。

3月11日。
今日で「東日本大震災」から8年が経ちました。

当時私は中学2年生で、地元・福島市に住んでいました。
地震が起きたときはどうすることもできず、こたつの中に必死に隠れていました。
運よくその日は両親が家にいて、父が私をこたつから引きずり出して庭へ逃げたのをよく覚えています。あれほど緊迫した父の顔は今までに見たことがなかったし、近くの山からは聞いたことのない動物が騒いでいたり、カラスの大群が山の上を狂ったように飛び交っていて、子供ながらに「とんでもない事が起きてしまったのかもしれない」という不安に襲われました。
「またおっきな地震が来たら…。」
一つ一つの行動を引き金に今生の別れになるかもしれない恐怖が13歳の私に襲い掛かります。
そんな中、母は小学生の弟を学校に迎えに行きました。
一番に母と弟の無事を願い、心配していたのは母を送り出した父だったことでしょう。

残った父と私は、地域の消防団のおじさんたち・近所の親戚らと安否確認をして近くの集会所に集まり、
いつも見合わせる顔がそろっていて安心してドラム缶に新聞を入れ燃やして暖をとっていた人たちに混ざていました。
すると弟と同じ学校に通っている男の子と、そのお父さんが集会所に来ました。

「大丈夫だったかい?」
父「なんだってこだになぁ…。おっがねがったで。(全くこんな事になってしまって…。こわかったよ。)」
「ミツアキさん(父)とこの奥さんにさっきコレ(息子さん)迎えに行ったときにいっき会いましたよ?」
父「あ、ほんとに?そうかそうか。」

そうこうしていると母と弟が帰ってきました。
ランドセルや防寒着などは持っていませんでした。
でもようやく家族の再開ができてホッとしました。
その時「家族」のありがたみを感じることができました。

その日からしばらく食料や水、電気、ガスといったライフラインが滞り生活に支障が出ましたが
自衛隊の方たちや警察、消防隊員の方たちの手によって徐々に生活が安定し、電気が通った時に初めて見たテレビ映像は大きな津波が街や人を容赦なく呑み込んでいく映像でした。

映画のワンシーンかと思いましたが違ったようで。
夏に家族で遊びに行く相馬の海の映像だと理解できたのは映像を見始めて少したってからでした。

さらに福島第一原発の水素爆発。
この震災による様々な被害により被災者は生まれ育った故郷を追いやられ、職をなくし、家をなくし、家族を亡くし…。
あの原発事故さえなければ風評被害がここまで大きくなることもなかったでしょう。

ですが、少しずつ復興に向けて動いているのも実態です。
南相馬に建設中の「ロボットテストフィールド」
目の前には高い防波堤と、太平洋。
新たな福島の、そして南相馬のロボット産業を支える礎になるでしょう。
我々も南相馬のロボット産業を発展させるべく、日々精進して参ります。
この「ロボットテストフィールド」は今秋開所予定とのことです。

東日本大震災で被害にあわれた方々の生活の再建と
亡くなられた方々へのご冥福をお祈りし、本日のブログの更新とさせていただきます。

最後まで読んでいただきましてありがとうございました。







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